備忘録  〜 日本の試作・実験・自作航空機 〜 (ウェブ・サイト構成者 K)

(エクスペリメンタル航空機 / アマチュア・ビルト航空機 / ホーム・ビルト航空機)

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航空黎明期には そもそも航空機産業は無かったから 航空機の先駆者達は皆 航空機を模索・設計・試作・自作する事から始めた。
日本でも成功目前まで行ったケースも有ったが 有意の飛行成功は明治時代の終わり頃 外国の設計・製作による機体で軍関係者によってなされた。以後 民間ベースの航空機や航空機産業 運航事業 活動団体も出来て 大正時代の初めの頃から 飛行大会や競技会と記録挑戦飛行も行われた。 日本の航空機技術は 主として軍需がらみの航空機産業によって発達したのだが 一部のグライダー関係を除きスカイスポーツとか自作航空機とかいう分野は広く普及する事なく 戦後の航空活動禁止の時代に入った。

ここで言う自作航空機とは アマチュア・ビルト航空機あるいはホーム・ビルト航空機を指し 多くの場合スカイスポーツを目的としている。
ある者が航空機製造業の企業に所属して そこで航空機の設計や生産に携わっているとしても その者が職場を離れて グループを含む個人の立場で航空機を設計・製作した時 その航空機は自作航空機と言える。

日本でも戦後 航空活動再開を機に民間の航空活動も始動し 軽飛行機のクラブとかグライダーやスカイダイビングあるいはバルーンといったスカイスポーツにいそしむグループが増えてきた。その様な活動を大学や新聞社が支え 軽飛行機を設計・製作する企業や大学も出てきた。 軽飛行機設計コンテストが実施され 伝えられる航空先進国の状況も刺激になり 航空機の自作について多くの事を学んで 実践に移す者も多くなった。 航空局の正式な飛行許可を得て飛行した事例も出た。指導的役割を担うグループも出現して航空機自作講習会が開催され 多くの参加者があった。同好の士が自作航空機の団体を結成して会員を募った。その様な活動進展に前後して 全国各地にあって目立つ事なく進行していた 少なくない自作航空機の様子が報道などで表面に出てきた。機は熟したと判断されて自作航空機の大会も開催されるようになった。計画中の半完成機も含む機体が展示され 実績のある機体は実際に飛行展示した。

その当時の自作航空機で数が多くて目立ったのは 日本に代理店が有った事も理由の一つだろうが アメリカ・ベンセン社の図面を参考にして製作されたジャイロプレーン(ジャイロコプター)だった。航空当局が申請を受けて飛行許可を発行する際の操縦能力評価基準を明確にする為に 操縦技能認定制度や認定員制度が制定された(*)。この時 先の自作航空機の団体が(財)日本航空協会と協力して 大きな役割を果たした。その制度は後年 マイクロライト航空機(超軽量動力機)が普及した折に参考にされ 幾度かの改訂を経て 現在の航空局通達に反映されている。

その様な経過があった事が背景となって (財)日本航空協会傘下の自作航空機の団体はジャイロプレーンをも掌握・統括する団体として位置付けられて今日に至っているが その過程でジャイロプレーンを含む超軽量動力機等に関わる型式認定制度や型式認定 さらには検査員や試験員の制度制定にも関わった(*)。なお現在 超軽量動力機を統括する別の団体が やはり(財)日本航空協会の傘下にある。

  注 * : これらの制度はその後廃止され それぞれの実務は航空局通達の規定による事となった。

戦後初の自作航空機の大会以降 自作機の設計コンテストも行われ 主催者や催事の名称と内容は異なったりしたが スカイスポーツの大小の大会・競技会が実施された。平成元年からは「スカイレジャー・ジャパン」が全国各地を会場にして 平成22年まで毎年開催された。その間には ハンググライダーが普及し これにエンジンを付けた物がマイクロライト航空機へ発展し エンジンを背負って平地から足で離着陸するパラシュート型も出現した。湖岸に設置した高台から動力無しで飛び出して 距離や速度を競うコンテストも継続して開催され 参加グループと機体の技術力も 競技成績も向上している。

純粋にアマチュア・ビルトかどうかの判断は難しい一面もある。
しかしその点を別にして 耐空証明や識別記号または動力の有無に関わらず 記憶に有る航空機関連の試作や実験 自作および普及活動の事例を次に列記する。
洋上2地点間飛行を実施したり 速度記録飛行に挑戦した機体もある。幻の二宮式玉虫型の再現を試みた例もある。世界に向けて販売するに至ったエンジンやコアキシャル・ヘリコプタもある。 
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自由航研 荻原久雄 ラム・ジェット・ヘリコプタ   ジャイロプレーン
頓所好勝 ハング・グライダー
横浜グライダー・クラブ グライダー   モーター・グライダー
東大 - 日東紡績 FRP グライダー
岡村製作所 軽飛行機
日大 軽飛行機  モーター・グライダー  人力飛行機   超軽量動力機
小型ヘリコプタ   ジャイロプレーン
東北大 グライダー   人力飛行機
都立航空高専 軽飛行機
宮内製作所 軽飛行機
ヤエガキ酒造 軽飛行機
ホームビルト三河 超軽量動力機
菱和 超軽量動力機
山陽鉄工 超軽量動力機
村上商会 軽飛行機
西日本航空協会 復元航空機   グライダー
HKS アビエーション 航空機用エンジン
GEN コーポレーション コアキシャル・ヘリコプタ   航空機用エンジン
ライト航空商会 ジャイロコプタ
ヤヒユ航空 ジャイロコプタ

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なお戦後 自作航空機の黎明期には 飛行機もヘリコプタもジャイロプレーンも 機体の識別記号がない状態で航空局の試験飛行許可書が発行された。これは航空機製造業者の試作機と同様であった。
外国からマイクロライト航空機が入ってきてブームになって 事故も目立つようになって 航空局から自由飛行を規制する通達が出され 機体数が増えていた事もあって 機体識別の必要性から 超軽量動力機に JRナンバー ジャイロプレーンに JEナンバーが割り振られた。その時点で過去の自作航空機にも遡って JXナンバーが付与された。現在は通達改訂を経て 超軽量動力機等(JRナンバーおよび JEナンバー)の要件を満たさない自作航空機に対して JXナンバーが付与される事になっている。  (K)